海にかかる橋

プロフィールも兼ねて、恥ずかしながら、我が家のこれまでの歩みをさらりと簡単にまとめてみようと思います。一言でいうと、小学校入学までは、ジェットコースターのような歩みでした。色々なことが起こりましたね。あとは、人並みに、泣いて笑ってを繰り返していた気がします!

【第1章】転勤先での生活。発達障害が判明。

海

生後5ヵ月で、夫の転勤先の信越地方へ引っ越し。実家は県外のため、遠くて大変なこともあったけれど、初めての育児をそれなりに頑張っていました。でも我が語を見て、色々なタイミングで、「なんだか他の子と違うな」と思うことが多々ありました。>>発達障害だった娘の特徴、まとめ!

2歳半頃、発達障害を疑う。

そんな中、2歳半頃に色々な子が集まる子どもの遊び場で「やはり、なんだかおかしい」と育児の不安がピークに達したことで市の発達相談に申し込みました。夫や実両親に「発達障害かもしれない」と伝えると、その予測に猛反対。でも、発達相談先が療育を提供しており、万が一発達障害だったことを考えて療育に参加できるよう手続きをしました。

2歳8ヵ月、医師より発達障害と告げられる。

診察場面

別の相談先で、医師に子どもを見てもらうと、発達障害であることを医師より示唆されました(医療機関ではなかったため、診断とはなりませんでしたが)。「やっぱり!」というホッとした気持ちと共になぜか涙が溢れ止まりませんでした。「どうして我が子がこんなことに・・」、「普通の子が良かった」、「でも私の大事な子に変わりない」色々な気もちが渦巻いていた時期です。

夫にその旨伝えると、医師から伝えられたということもあり、驚きながらもすんなりと受け入れてくれました。実両親は受け入れず、衝突ししばらく連絡を絶ち、疎遠になりました。

義両親は、すぐに理解を示してくれた様子で嬉しかったこともあり、急激に距離を縮めることになりましたが、距離感は大事ですよね。この時に近づきすぎたのと、私(母)の心が乱れて精神的に頼りすぎてしまったことで、色々とあり距離を置くことになりました。

年少春、発達障害の子の受け入れ実績がある園に入園。

幼稚園バス

3歳半頃に正式に発達障害と診断され、その後すぐに特性のある子の受け入れ実績のある園に入園。子供の数が多いマンモス幼稚園でした。園にはカミングアウトしましたが、その他ママさんたちへのカミングアウトはなし。>>園側にカミングアウトする”メリット”、”デメリット”とは!?

この頃、私も頭では、娘の発達障害を理解し、受け入れようと必死でしたが、心から受け入れられていなかった時期で、心の中は終始葛藤の渦にいました。なんとか園と療育だけは通い続ける日々ですね。園でも、参加できない活動や、問題行動も多くなり、頭を抱えていました。

年少秋、就学を見据えて、様々な小学校の情報や見学を始める。

目

信越地方に長く居住することを考えて、様々な小学校を見学したり情報を集め始めました。そして少人数の小学校の学区に、引っ越すことを決め物件を探しを開始。>>小学校探しの記事一覧

年少冬、希望する小学校の学区にある住居に引っ越し!

その小学校の学区にある住居に実際に引っ越しをしました。

年中春、園での問題行動や不適切行動がエスカレート。

引っ越しを終えて、新たな場所で、年中の1年が始まる。問題行動や不適切な行動があり、1学期はしょっちゅう園から報告を受け、頭を抱え悩みました。

【第2章】転機の訪れ!急遽、首都圏への引っ越しが決まる!

紙飛行機

年中夏、県外の短期療育プログラムに思い切って参加!

療育回数を増やしたい、自分自身ももっと知識を得たいという思いが強くなり、東京で夏休みの間に行われる短期療育プログラムに思い切って参加することにしました。全国、海外から参加されている同じ境遇のお母さん方にたくさんお会いし、この経験が、この後の人生を一気に変えることになります。>>人生を変えた短期療育プログラム!

このプログラムの参加で、首都圏の療育機関の多さ、療育の種類の豊富さ、理解度の深さ、ママさん方がオープンなことに良い意味でショックを受け、就学の選択肢に県外の学校や様々な私学があることを知りました。地域によって、発達障害や特性を持つ子の環境が異なることに驚き、首都圏には全国でも受け入れ環境の整備が優れている地域があるという話を聞きました。

年中秋、県外での就学、引っ越しを検討し始める。

家

信越地方に戻った後すぐに、首都圏の発達障害の子の受け入れ環境について情報を漁りデータとにらめっこする日々を送りました。そして、引っ越しできないかをリアルに考え始めましたね。

引っ越しができるかは分からないけれど、夫と「もし、住むのであれば・・」ということをイメージして、イメージできた場所の周りにある小学校を見学するため、週末を利用して車で首都圏の往復を繰り返し、実際に足を運び、気になる小学校を夫婦で見て回りました。この頃は、最もフットワークが軽かったです。>>子供にとってより良い小学校を探すコツ!

そして、気になっていた首都圏の私学の説明会にも参加し見学、校長先生と面談。どうしても入学させたい小学校に出会いました。

一通り見学を終えて、信越地方に戻り、首都圏への移住を夫婦で強く望むように。どうやったら移住できるのかを考えた結果、夫が、急に行動を起こすことに。勤め先の社長に事情を話し直談判、首都圏への移住を願い出ました。そして、社長から異例の転勤許可が下ります。人の温かさを思い知る、そんな出来事でした。(この行動のデメリットが後に事件をもたらしますが・・)

年中冬、首都圏への引っ越しが決まる。

転園先や住居を急遽探し、手続きを開始。3月ギリギリで夫の会社の転勤辞令が出て、1週間で引っ越しました。異例の転勤許可だったため、引っ越しの準備期間も補助も一切なくとにかくハードでした。前回の引っ越しから、1年経たずの再引っ越しでした。

【第3章】首都圏へ移住後にまさかの事態!小学校に入学。

気球

年長春、首都圏での生活開始。転園。

念願叶っての引っ越しだったとはいえ、居住地、幼稚園、全てのことが変化し、家族中で大変な時期でした。

転園した娘は、環境変化のストレスも重なり、問題行動や不適切な行動、参加できない活動が一気に増え、母(私)も毎日頭を抱えることに。私(母)は、心機一転、周りへのカミングアウトをし始めました。

そして、夫も新しい職場環境で大変な日々を送っていました。事情を知り転勤を後押ししてくれた、社長や上司が全員異動。異例の転勤だったのと、転勤願いのルートを逸脱してしまったこともあり、社内から反感を買うことに・・。

年長秋、就学先決定。

小学校

娘は、希望していた私学を受験し、無事合格。住み心地を考えてまたもや引っ越し。

夫が、転勤後半年でまた異動を命じられ、これまでの成果も認められないことに。異例の転勤許可の代償のように捉え、彼の心の中で退職を決意。

年長冬、夫が転職。

びっくりマーク!

夫は、娘の受験合格まではと、辛い状況だった仕事をなんとか耐えてくれ、合格したことが分かってから退職。私は事後報告で退職した旨伝えられました。無職の期間がしばらく続き、新たな職に就くことになりました。

小学1年春、娘が就学。

ランドセル

無事に念願の私学に入学!学校生活をスタートさせました。

 

乳幼児の頃が母として一番大変だった記憶があり、そんなたった数年の出来事をメインにまとめていますが、振り返るとかなりハードな日々を送っていたなと感じます。生活環境や園生活、親の職までも変り、とにかく本当に色々ありましたね~。

「5年後はどうなっているか分からない」この記録を見ても、今の現状を見てもそう感じますね。これからどんな歩みになるのでしょうか♪

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