発達障害を抱えている娘の育児は色々と手を焼いて、特に幼児の頃は本当に疲弊する日々が続きました。言語の遅れもあったので、幼児の頃は会話もうまく出来なかったのですが、そんな娘に分からないだろうと伝え続けた言葉が突然私に返ってくることがあります。>>落ち込んでいた私(母)に娘が掛けたくれた言葉、「そのままのママが好き・・」
分からないだろうと思い掛けている言葉でも、相手は何かを感じていること、言葉は癒しの威力があるのだと感じずにはいられない、今回はそう確信をもった出来事について記録しておきたいと思います。
『ママの味方だよ』
娘が園生活を送っているころ、園側から頻繁に問題報告がありました。ひどい時期は毎日でした。報告される度に、娘に言葉で説明したり絵を描いて説明したり、いけないことはいけないと伝えたものの、すぐには直らないんですよね。それでも、毎日のように『こんなことしていました』、『これが出来ませんでした』という報告が続く状況で、もう八方塞りの状態。連絡帳は1年に複数冊という具合でした。
そんな事態でも私が元気な時なら、前向きに受け止められるのですが、自分(母)の体調が悪い時や時期によっては、うまくストレスを逃がせない時があって、つい娘に感情的になってしまうことがありました。
娘の特性を分かっているのに感情的になってしまう自分や、心が乱れている自分にまぁ腹が立つし、自己嫌悪に陥ることもしょっちゅう。当時は転勤先の地方にいて、頼れる身内は誰もおらず、孤軍奮闘だったというのも大きいかもしれません。
そんな時に、たぶん自分のためなんでしょうね、自分を律するというか、一線は守りたいというのか、そんなためにも娘に、『ママは、○○(名前)の味方だからね』と耳がタコになるほど伝えていました。娘は言語発達が遅れていたので、きっと分からないだろうと思いながらも、ブレてしまう自分に娘が誤解しないように伝えなきゃいけないと思ったのだと思います。
そんなある日。伝え続けて3年以上経ったころ、娘が小学2年生になった頃ですが、言語も少しずつ成長し、こんな質問を受けました。『味方ってなぁに?』と聞かれたんです。なので、一瞬考え込んだんですが、『応援団ってこと。応援しているってことだよ。』と伝えました。
この同じやりとりが、何度か続き、「言語習得中なのね」なんて思っていた頃に、いつものように『ママは、○○(名前)の味方だからね』と伝えたんです。そしたらね、娘から、
っていう言葉が返ってきました。言い続けてきたまさか私に返ってたのです。とても驚いたのを覚えています。そして、「味方」って言われると心強いんですね。あまり言われることがなかったのですが、とても温かい言葉で、思わずうるっと目頭が熱くなりました。
分からないだろうと思い掛けていた言葉、分からなくても心地よい言葉ってきっとあるのだと思います。だから、温かい言葉を掛けることって素敵な贈り物なんだと感じます。
発達障害などの特性を抱えている子の子育ては先が見えない、八方塞りという状況が続くことがあります。それでも、前に進むしかない。そんな方々に、私はあなた方の味方です。