道のり

長いこと待ち望んで生まれてきてくれた我が子に発達障害を疑った時、そして発達障害だと言われた時、自分なりに覚悟はしていたけれど、どん底に突き落とされた気分でした。

受け入れられず、葛藤しながら苦しい日々を過ごしたこと、園生活は娘の不適切な行動や集団から外れてしまうという、度重なる報告に苦しむことがほとんどだった気がします・・笑 そんな苦い記憶が鮮明に残っているし、きっとこれからも育児は葛藤や苦悩を抱えながら進むのだろうと思います。

でも、子供が特性を抱えていて個性的だったからこそ、私(母)の人生において、きっと気づけなかったであろう色々なことに気づくことが出来たという気がします。

『この子を産んで良かった。』、本当に苦しい時もそんな瞬間が訪れてきました。もしかしたら、本当に苦しい時だからこそ、もがくからこそ気づけるのかもしれないですね!

そんな中の1つについて、記録に残しておこうと思います!

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『当たり前』と思っていたことは、実はどれも『奇跡』

気球

私の場合、妊娠中からお腹の中に居る赤ちゃんを想像し、勝手に理想の子育てや子供のイメージを頭の中に思い描いていました。そんな思い描く子供のイメージに当然として、下記のような『当たり前』を抱いていました。

  • 子供は勝手に育つ
  • 子供は勝手におもちゃで遊ぶ
  • 子供はテレビが好き
  • 子供はお友達と遊ぶのが大好き
  • 子供は公園が好き
  • 女の子はおませさん(お喋りが好き)
  • 女の子は言葉の成長が早い
  • 子供はお外が大好き
  • 子供は人懐っこい・・など。

子供は親が特別に教えたり、訓練しなくても勝手に育っていくのだと当たり前に思っていたし、身内や友人の子を見ていて当然のように感じていました。

でもね、実際に子育てを始めたら、どの『当たり前』にも、娘は該当しない!ヒーーー!”勝手に育つ!?”、我が子の子育てにおいては、もうハテナ(?)だらけでした。

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言葉を引き出すためのトレーニングを受けたり、生活上の困難を解消するために、手先の訓練をしたり、人との関わりを少しでも増やすために療育に通ったり・・、積極的に大人や専門家の方、親が介入してようやく出来ることが増えていく、そんな感覚だったんです。

おもちゃで遊ぶことすら難しい、何度教えても遊べない姿がありました。『この先、この子と会話できることはないのかもしれない・・』そんな思いを抱えた時期もありました。外に出るのも人を怖がり一苦労・・。

そんな時に自分の思う『当たり前』は、実は当たり前じゃなかったんだ。

と気づきました。

そして、娘が会話を少し出来るようになった時、ボタンが押せるようになった時、テレビを少し見れた時、色々な『当たり前』だと思っていたことが少しでも出来ることに飛び跳ねるように喜び、『奇跡』を感じました。

自分が思い込んでいた『当たり前』なことが、いつのまにか「奇跡」に変っていました。

四葉のクローバー

たまたま娘を授かって、ユニークな子育てを体験したことで、小さな奇跡をたくさん感じ、喜ぶことが出来るようになった気がします。娘の子育てをしていなかったら、『当たり前』なことは、『当たり前』のまま終わっていたかもしれません。

でも本当は、世の中には色々な人が居て、自分の思う『当たり前』って実は『当たり前』じゃなくて、『奇跡』だったりします。

これに気づけたことは、わたしの特権じゃーーー!笑 きっと、娘じゃなければ、こんなに奇跡を感じることもなかったでしょう!『奇跡』が起きた!という感覚って、すごく貴重で感動するし、キラキラします。

娘の子育てを通じで、実は私の人生の幅が少しずつ豊かになっているような気がします。

まとめ

コーヒー

『当たり前』って実は、『奇跡』だったりします。

それでは、また!

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