道のり

発達障害を抱えていること、発達上の遅れがあること、特性があることを隠さずに正直に話すようになってから、温かく見守って下さる方、応援して下さる方がいらっしゃることが明確になり、励まされることが多くなりました。

そして、そうやって温かくみて下さる方だからこそ、「どこからが発達障害なの!?」、「線引きが分からない、発達障害という枠に当てはめずに良いのではないか」、「個性なんじゃないか」という問いかけをして下さいます。

今回は、そんな疑問について、個人的な答えを書いておこうかなと思います!

あえて、発達障害と診断を付けなくても良いのでは!?個性と違うの!?

はてな

私自身も、発達障害の可能性を疑ってから、身内や信頼できる友人以外はずっと周りに隠していたんですよね。

なぜかというと、同じような疑問を抱いてからなんです。

”将来は社会に適応できる可能性があるのではないか”、”大人になれば健常と呼ばれるグループに属せるのではないか”。そうであれば、わざわざ発達障害という枠に入れなくても良いのではないか・・。娘をそういう枠組みに置いて、そういう目で見られて良いのだろうかという葛藤があったんです。

じゃぁ、なぜ発達障害という診断を受けてそれを受け入れて、幼稚園や小学校、必要な方達にカミングアウトしているのかというと、我が家の場合は下記の理由がありました。

現時点で、支援や理解をお願いしないと生活(集団、日常生活含め)に支障があったり、困ることがあるから。

 

そして、診断を受けることで、「支援が必要なんだ」という証拠になるんですよね。健常というグループに属すお子さんだって、個性や性格が色々とあり、もちろん手がかかることだってあるはず。

そんな中で、娘の場合は個別な対応や配慮が必要なことがとても多かったんです。健常と呼ばれるお子さんだって手がかかるからこそ、あえて診断を受けて、”支援が必要”ということが明らかな方が、幼稚園や小学校でも公的に対応策を検討しやすいはずだと考えました。

娘にとっても、無理に頑張りすぎてキャパオーバーとなるよりも、現時点で支援してもらえることが自己受容にとても大事な気がしたんですよね。

なので、個人的には、「個性」と「障害」の差は何かというと、”生活に支障があったり困ることがあるかどうか”のように感じます。そして診断を受けて、それをカミングアウトしているのは、今の娘にとってありのままで居られるため&必要な支援を受けるため。

ただ、現時点で発達障害であっても、成長して社会に適応できるのであれば、個性に変る可能性はあると思っています。

あくまで我が家の1例ですが、葛藤をされている方も多いはず。そして疑問に思う方もいらっしゃると感じたので、まとめてみました!それでは、また!

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