
娘は、好きな遊び、好きものがなかなか見つからずにいました。
母である私も、女の子の遊びに固定概念があって、自分の考えから思いつくおもちゃやものしか与えていませんでした。
例えば、母の私が考える、「女の子の遊び」とは下記のようなこと。
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- 子供は公園が大好き
- 子どもは外遊びをさせた方がいい
- 女の子はディズニーやサンリオなどが好き
- 女の子は、人形やぬいぐるみが好き
- 女の子がプリキュアやプリンセス、アイドルが好き
- 女の子は製作や工作が好き
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こういう考え囚われていて、乗り気ではない娘にも少しずつ慣れてもらおうと公園に連れていくようにしたり、上記のようなことに通じる遊びに誘導していたりしていました。
そんな年長のとある日も、”少しずつ公園に慣れさせないと!”、”公園を楽しめるはず”という考えに囚われていて、大きな公園に連れていくことに!
そうしたら、大変なことになり、母も泣きながら帰ることに!笑 今となれば、懐かしい思い出ですが、その頃は本当にきつかった~~!
自分の考えの未熟さも痛感し、色々な意味で、変わる時だったのだと感じます。
無理に公園に連れて行くのはもう辞める!母が大泣き!笑

少しでも慣れさせなきゃ!そんな思いで、子供たちで溢れている公園に!
乗り気ではない娘に、「じゃぁ1つの遊具だけして帰ろう!」と伝えることに・・・。
娘も、遊具で遊びたい気持ちもありますが、感覚的なことや聴覚的なことで、うまく楽しめないんですよね!今冷静に考えればとても理解できます。
実際、娘も少しは遊びたい気持ちがあるので、遊具にトライしていましたが、途中で困ったことが起きました!!木登りのような遊具で、ネット上になっているところをずっと上に登っていくような遊具があったのですが、頑張って少しずつ登ってみたものの途中で怖くなった様子。
降りようとしたけれど、次々にお友達が上ってくる光景に、ついにパニックに陥ってしまいました!娘はというと、その場にしがみつきながら、
「キーーーーーーーーーー!」、「キーーーーーーー!」
金切り声を、ネットの上で上げ続けていました!5歳の子の金切り声、もともと声も大きいので、もう公園中に響き渡るほどの大きさ!その場に居る子供たちや親御さんからの視線が一気に集中!
・・・き、きまずい・・・

「大丈夫だから降りておいで!」と言っても、もうパニック中なので、指示は入らず!子供たちも大勢いるので、すぐに大人の私たちが登ることもできないので、悪気のない不特定多数の視線を浴びながら、時間をかけて娘を救出しました!
降りてからも、パニックは収まらず、奇声を上げ続けたまま、20kg近くある娘を抱えて、急ぐように車に走りましたね!笑 きっと鬼のような形相で・・
娘は言語発達が遅れていたので、うまく気持ちを表現することが苦手だったんです。同じ遊具で遊んでいた3歳くらいの子を見ていると、うまく登れていない子は、
「ママ、怖いーーー」、「もう降りるーー」
なんて自分の気持ちを言葉で表現している子が多かったんです。泣き出す子もいたり・・。
けれど、娘の場合は、「ママー、助けてー!」とか、「怖くなっちゃった!」、「もう降りたい!」、「どうすればいい?」とか、そういう言葉がなかなか出ない・・(小学生になった今は、言えるようになりました!)、そして、泣くということもしないので、奇声という行動を通して当時はストレスを発散していました。娘の不安と恐怖がピークに達し、どうしたら良いのか分からなかった状況。
奇声を上げ続ける娘を抱えて車に戻ると、なぜか私(母)がすごくショックで、涙がたっくさん溢れたのを覚えています。
「娘は公園に乗り気じゃなかったのに自分の都合で公園に連れてきてしまった。そして、娘に負担がかかりパニックを起してしまった」
こんな思いがわーーっと湧いて、色々な感情を感じて大泣き!
これは、自分(母)の中に抱える問題が原因で起こしてしまったパニックだと分かりました。娘のありのままを認めずに普通ににしようという思いが無意識にあることに気づいた瞬間!
自分の中にある、子供像の固定概念、”子供は公園が好き!公園で遊ばせなきゃ!”っていう考えに縛られていたんですよね。
でもこれをきっかけに、自分の中に根付く、”子どもとは・・”、”母親とは・・”の固定概念に気づき、自分を変えようと思えました。
「もう無理に公園に連れていくのは辞めよう」
しっかりとその思いが刻まれました。固定概念が崩れた瞬間ですね!
もう、公園に連れていかなくても良い!娘が好きなように遊ばせよう!そう決意したら、私(母)も驚くほど楽になりました。私自身、理想と現実のギャップに苦しかったんですね、きっと!

娘も年長になると、自分の意志を持ち始めます。いやなことはいや、言葉じゃなくても行動で
主張していきます。もう、親の押し付けは難しい!小学生になるともっと主張が出来るようになっていきます!
そんな主張を大事にしながら、あえて公園には行かずに過ごしているとようやく、没頭できる好きな遊びが見つかり、その遊びを通して勉強につながったり、行動が広がったりしています。
子育てに自信を失くし、大泣きしたあの頃、苦しかったけれど懐かしくも感じます!娘に教わることは多いなと改めて感じますね、自分の固まっている固定概念を破ってくれること、
感謝しなければですね!でもまだまだ、固定概念に縛られているんだろうな・・。
娘のおかげで、個性的な育児を体験させていただいていますが、少数派だからこそ、抱える葛藤がたくさんある気がします。人は皆違うのだから・・・、これでいい。そんな育児を維持していくこと、まだブレてしまうこともあるし、まだまだ厳しい目を感じることもありますが、貫くことを目標に進んでいます。
そんな、年長の頃の涙の記録でした。
それでは、また!











